溥傑と浩の「生涯で一番楽しかった家」♪ 「流転の王妃 愛の書簡」♪ 京成稲毛建物探訪♪
2022年 10月 11日
>白髪いっぱいになった今にかつての愛の誓いを思い出すのにはしのびない
この一文に、ぐっときております。
私は知識が無いのでお名前程度しか知らなかったのですが、戦争に歴史に翻弄された
人生だったのですね。
わずか半年の稲毛での暮らしの中に輝きが凝縮されていたのですね。
嵯峨家は公家で、浩は書、洋画、ピアノが得意で、
サーフィンをしたりとハイカラな女性だったようだ。
↑その頃にサーフインなんて、超ハイカラさんですね。
1990年に再び稲毛の地を訪れ、新婚当時を偲ぶ詩・・・この詩
胸を打たれますね。
長い時を経ても想いは色褪せず、されど白髪なり愛する人は
亡くなり、思い出の家はまだ残されていて…想像しても
哀しみが伝わります。
カフカさん、ご紹介ありがとうございます。
ままならない人生の中でも、安らぎの感じられる時間だったのですね。
忙しかった三連休終わり久々一人の時間戻ってきました(*´▽`*)葉流
でも浩さんは、溥傑さんと出会い、結婚され、もちろん、すごく大変な時代も過ごされたんだろうけれど、でも、お幸せな時もあって、「私の愛する愛する可愛い妻、浩様♪」と手紙に書いてくれるような旦那様で、そういうご夫婦で、ホントに良かったなと思います。
皇族だろうと一般人だろうと、そういう幸せって同じですものね。
詳しく、みせていただくと
あの頃の、公家、そして、宮家が
時代にほんろうされつつも、ロマンスに生きた時を過ごされている
そうした容を、こうして、残されているのが、やはり都です、東京は
サーフィンには驚きです・・((´∀`))ケラケラ
思えば
近代を生きている私なんぞは、この方達の足元にも及ばない((´∀`))ケラケラ
そんな思いに馳せられますが
slowさんには、通じるものがたくさんおありですよね
ねこさん
溥傑は浩の死に耐えるのがたいへんだったようですね。
相思相愛の二人だけに
書簡に会えないけれど、言葉に愛があふれています。
あの状況の中で、お互いを思いやることだけが
出来る事みたいな。
浩の家族親戚も関東軍の思惑の結婚に
最初乗り気でなかったけれど
溥傑を見て、皆いい人だと思ったそうよ。
人徳のある人だったのね。
葉流さん
軍の思惑の政略結婚です。
満州皇帝の溥儀は男色の傾向があったので
子どもは望めそうもないので
溥傑夫妻に男児が誕生すれば傀儡出来ると思ったようなんですね。
溥儀も男児が弟に生まれたら、自分の身が心配で
2人に対しては優しい対応ではなかったようです。
生まれたのが女児だったので溥儀は安心して
長女の慧生をかわいがったとか。
浩は多才な人で洋裁も得意。
モダンガールの服を自分で縫ってましたよ。
それはおしゃれな襟の服でした。
溥傑は本当に優しい人で、
16年ぶりに会った時、共に歩き出すときに、
「さ、浩さん」と溥傑が言ったら
長い歳月が無かったかのように2人で腕組みして
歩いていったそうです。
戦争や侵略で失う命も人生も多いですね。
世界各地での紛争に心を痛めます。
今日は久々の上天気!
洗濯やら片づけしてます。
さくらんぼさん
溥傑との政略結婚に反対していた嵯峨家ですが
お見合いで溥傑を見て
祖母はまたとない縁談だと喜び、
親戚一同は溥傑を春風のような人だと好感を持ったんだそう。
戦争に翻弄された二人は長い空白もあったけれど
本当に相思相愛の夫婦だったようですね。
書簡の行間に溥傑という人の人柄が出ています。
満州国幹部が亡命資金に送った金塊も
満州国務大臣だった岸信介も「わかりません」と取り付く島もなく
金塊の運搬に当たった人が全員亡くなっていたということもあったとか。
いつでも闇が作れる政治や国だったみたいですね。
zakkkanさん
当時の宮家や公家や実業家の生活は
かなりのモダンな暮らしだったようですね。
ホントあの時代にサーフィンとは驚きですよね。
しかし特技としていた書は戦後の暮らしに役立ち
学校で書道教師として働いていた時期もあったようです。
一番宮家で驚いたのは
この記事とは関係ないけど朝香宮です。
白金の庭園美術館のアールデコの洋館の贅を尽くした建築や
猪苗代湖畔の別荘なども税金で建てられたもの。
あの時代の庶民の暮らしを思うとため息が出てしまうけど、
ステキな洋館にはすばらしいと思う自分もいて混乱します。
穏やかな時間がゆっくり流れたお屋敷なんでしょうね。
歴史が感じられる凝った欄間やガラスがとても美しく
天井も何もかも丁寧に造られていますね。
L字型の造りも、そのお庭の景色がどこからでも眺められていいね。
季節ごとに移り変わる様子を存分に楽しめそうで♪
詳しいことは知りませんが、過酷な日々が待ち受けていたとは…。切ないね。
溥傑がソ連の捕虜となり抑留、その後11年も中国での収容生活
その間手紙の交換が叶ったのも
長女彗星が中国語で周恩来に直訴までしたのに
東大生との無理心中による非業の死とは…
浩さんの悲しみはいかばかりであったことか
でもお二人、相思相愛でお幸せな時があってよかったです。
こちらのお宅から 新婚の仲睦まじいお二人が想起できます。
mimiさん
一目ぼれだった2人、
家族や親せきも溥傑を春風のような人だと。
侵略の政略結婚だったけど
生涯仲のいいご夫妻だったみたいね。
古い家の丁寧なつくりは見ていてすばらしかった。
細部に丁寧な作りがされていたわ。
庭の池には水が入ってなかったけど、
庭もきれいだし、当時は来客が多かったようね。
2人を利用した日本国はこんなに簡単に見捨てるんだと
思った。
16年ぶりの逢瀬には感動した!
ritsuさん
慧生は自殺願望の東大生を説得に行ったみたいだけど
殺されたというのが真相みたいね。
きちんと調べて欲しいという遺族の願いは無視されたとか。
16年ぶりの逢瀬に慧生のことを溥傑に告げる時とか
どんなに辛かったことか。
玄関で靴を履く溥傑を見守る写真を見ると
幸せそうですよね。
結婚を先延ばしにしていた浩も
溥傑を見て一目ぼれだったみたいだし。
昌ちゃん
溥傑という人は、本当にすばらしい人なんだと
この漢詩を読んで思いました。
書簡の内容を見ても
2人がお互いに思いやっているのよね。
それにしても関東軍の卑劣さに腹がたったわ。
亡命資金の金の延べ棒も闇の中。
満州での大臣だった岸信介も戦後訴えても分からないと
取りつく島もなかったとか。
関東軍は自分たちの大事な金目のものは
撤退以前に飛行機で日本に送っていたらしい。
日本人も満人も見捨てて我先に逃げたんですからね。
あら、昌ちゃん、何をおっしゃるうさぎさん(笑)
たまさん
ホントだ!
ぐぐってみたら美人の眼科医が。
勝手に愛新覚羅は名乗れないんだしね。
しかも女真族の血筋もひいてる!
診察に行きたいけど大井町は滅多に行かない町だわ(笑)
世の中狭いんですね!
情報ありがとうございました。
コメント欄でさらに色々学びました、。。
歴史的建造物探訪レポート
本当に素晴らしいです。
私、詳しくないし、軽々しく書けないな、と
昨日はいいねぼたんだけおして
アタフタと医者へ出向きました、🤣
昌ちゃん、ごめんね
貴方のコメントにいいねボタン、
お!同感だ!と、つい押してしまいましたー!
ホント、愛深いカップル、ジーン、、
うんうん、カフカフカさんご夫妻みたいですね❣️
きっと、愛に溢れた時があったからですね。
暮しの気配があって、それがとても上品なんです。
こういうお家は、成金の家じゃない、もちろん、庶民の家でもない、
こだわりも、誇示するこだわりじゃなく、自然に身に付いた美意識という感じ、
なんだか、昔の小説にあるような…
詩が切ないですね…
いつまでも、心に住む最愛の人。
toriさん
ラストエンペラーを見ただけですよ。
何回かレーザーディスクで家族Aと見ましたからね。
称号が無くなると、こんな扱いを受けるんだと
紫禁城の話よりも胸に残った。
ここにはただの建物探訪よりも
軍に翻弄された家族の思い出も残っていますから。
政略結婚は嫌だと思いながらも
溥傑に惹かれた浩の愛情は流浪の先まで
続きました。
それでも戦後、帰国してからも、
一般庶民とは違う贅沢な暮らしもされてた。
庶民の暮らしと全く違う暮らしが昔も今もあることに
本を読んで気づきました。
愛の深さを比べてもダメですよ(笑)
私は拷問されたら、彼をすぐ諦める(笑)
yukiさん
ホントここは成金趣味ではない上品さが
漂ってますよね。
誰かの別荘だったんでしょうね。
新婚時代の稲毛の家には来客が多くて
家族だかが神谷伝兵衛別邸にも一時期暮らしていたそうですよ。
人から逃れるためか、あの離れが図書室になっていたとか。
ホントに相思相愛のお二人で
浩が逝った時の意気消沈・錯乱ぶりも
あの詩を読むと分かりますね。
何と言っていいか・・・・もちろん、ラストエンペラーも見ました。その後ドキュメンタリー番組も見たことあります。関東軍による政略結婚をさせられ、歴史に翻弄されたのですよね。
でも一時期ではあったけれど、お二人が幸せな時を過ごされ相思相愛であったのですね。
なんと品格のあるお宅でしょうか。行ってみたくなりました。
ラストエンペラーや本、TVドラマ見ましたが
が
カフカフカさんのブログが一番気持ちに入ってきました
自分たちではどうしようもできない家に生まれ時代に翻弄されていたお二人ですが
自分たちの幸せだけはきっと守っていらっしゃったと思います
うまく書けないけど...
政略結婚は嫌だと思いながらも
溥傑の人柄に惹かれた、溥傑もまた一目ぼれ。
それにしても関東軍はひどいですね。
16年目にようやく再会できるって。
溥傑という人は浩の家族からも
春風のような人だと好印象だったみたい。
この家は上品な和風建築で
ここで楽しい新婚時代をすごしていたようですね。
ラストエンペラーの溥儀を助けて苦労した溥傑。
溥傑夫妻に男児が出来たらと不安視してた溥儀。
子どもが女児だったので、ホッとしてかわいがったとか。
庶民は貧乏だけど、そういう思いは無いですものね。
はりねずみさん
ラストエンペラーの映画で戦後、溥儀が
普通の人になっていく最後が
なんか日本軍に操られた人生を見るようで
悲しかった。
溥傑はその溥儀を助けて苦労するんだけど
その溥儀からも生まれてくる子供が男児だったらと
不安視されたらしい。
戦争や侵略は嫌だよね。
普通の人生があっという間に壊される。
ウクライナの破壊された街を見ると
悲しくなります。
昭和12年(私の母の生年だ…)はまだ日中戦争が始まる前〜まだ深刻になる前、まだ前途に希望があった頃、若いご夫婦にはいい時間だったことでしょう。
日本の建物は高度成長期の団地…鉄筋コンクリートのウサギ小屋からダメになったと思っています。
それまでは細かな造作が散りばめられていたのに…大量生産の規格化が美化された時代。
バブル時代に揺り戻しが始まったと思ったら…成金趣味とバブル崩壊後の逆転。
新しい建物のほうが、壊しても惜しくないと思う時代が続いていると思います。
溥傑と浩の穏やかな楽しい生活は
この後崩れて行くわけですが。
義父も満鉄からロシアに抑留。
骨と皮で帰国したそうです。
今となれば、あれこれ話を聞いておけば良かったなと。
団地は当時憧れの住まいだったのでしょうが
結婚するまで地方にいた私には東京の状況は分かりません。
スクラップ&ビルドの方が経済の活性化には
いいという国策だったのでしょうか?
溥傑と浩の暮らした家でガラス戸や欄間や照明など、
ひとりでうっとりと眺めて来ました。




















